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官僚トップの櫻井翔くんのパパと翔くんの共通点

官僚トップは、なんと櫻井翔くんパパ

総務審議官が総務省事務次官に起用される人事が正式に発表されました。
この総務省事務次官というのは、いわゆる「官僚トップ」ということですごい方のようなのですが、なんと新たにその事務次官となって人が櫻井俊・総務審議官。

これが、国民的超人気アイドル、「嵐」櫻井翔くんのパパというから驚きだ。

各省庁の仕組みを考えると、まずは大臣・副大臣・政務官という人たちがいて、彼らはいわば選挙で選ばれた政治家の先生方がだいたいなります。
そして、大臣官房というものがありますが、これは他の局とはちがい、一段格上の扱いとなっています。民間会社で言えば、総務部や社長室といったところでしょうか。

櫻井翔くんのパパがなった総務省事務次官というのは、大臣などを補佐したり、助言したりするとともに、局長レベル以下のプロフェッショナル集団の意見をとりまとめて企画立案する頂点にいることになります。

いわば事務方のトップであり、最終決定賢者であり、政治家と官僚の橋渡し役とも言えるのでしょう。
全国で5000人以上いる総務省職員の事実上のトップということですが、お金の話をすると、年収が2,295万円、さらに退職金がおおよそ8,700万円。非常にうらやましいかぎりです。
3000人以上の大型クラスの企業の大卒者の退職金が、約2,900万円ということを考えても、すごい額だということがわかるかと思います。

いずれにしろ、すごき狭き門を登りつめていき、トップに立ったということからすると、櫻井翔くんも、櫻井翔くんパパも共通点があるのかもしれません。

 櫻井翔くんパパ、翔くんのジャニーズ入りに当初猛反対!

この櫻井翔くんのパパ、櫻井翔くんがジャニーズ入りを希望していた当初は猛反対していたようです。
今でこそ、ジャニーズと言えばSMAPか嵐かといわれるほど、ジャニーズの双璧といってもいいくらいの地位にまで登りつけめた超人気グループの嵐、そんな飛ぶ鳥を落とす勢いうの嵐ですが、さらにジャニーズ事務所の次期社長と言われる藤島ジェリー氏がバックいついていて、今やテレビ局がもっとも気を使わなければならないグループとまで言われています。

ファンの方なら知っているよということかもしれませんが、1999年デビューしてからブレイクするまで鳴かず飛ばずの時期が7年間もあり、解散まで覚悟した時期もあったとか。
当時17歳であった櫻井翔少年は、リーダーの大野智さん、二宮和成さん、松本潤さん、相葉雅紀さんとともに、1999年にハワイで華々しいデビューをしたもののなかなか芽が出ませんでした。

SMAPのようにはいかないぞ! 自分の官僚人生になぞらえ、人生はそんな甘いもんじゃないぞ、なかなか芽がでるもんではないということを身にしみていたからこそ、芽がでる保証もない世界で息子がもがく姿を見たくなかったのかもしれません。
今では、櫻井翔くんがパパをコンサートに招待してからは、ずっと応援してくれているようです。

今や飛ぶ鳥を落とす嵐の不遇時代、存続のピンチを救ったリーダーの一言

デビュー当時は、酷い扱いも受けていた時期もあり、そんなデビュー当時の嵐メンバーの葛藤が赤裸々に書かれた暴露本『嵐、ブレイク前夜』も出版されています。

 

嵐、ブレイク前夜


時代はすぎ、2002年、櫻井翔青年も20歳となり、いつまでも少年アイドルというわけにはいかず、鳴かず飛ばず、なかなか芽がでてこな嵐というグループの中でもがき続けます。
俺たちは、いつまでこんなことを続けているんだろうか。

そんな中、個性は揃いの嵐のメンバーから、「今の仕事を全部投げ打って下剋上を起すしかない!」という意見が出てきました。

その時、リーダーの大野智さんが言った一言が
  「イヤだ! 今 目の前にあることを頑張れないやつが何を頑張れんだ!」
彼のキャラを考えたら、らしい言葉とも言えますね。もっとも当の本人はそんなこと言った覚えはないそうだが、またまたそこがらいさといえばらしさかもしれません。
何もしない 仕切らない 言う事なす事天然ボケとも思える言動、でもいざという時に出る本質をついた一言。
新しいリーダー像なのかもしれません。

リーダーも認める櫻井翔

その大野智リーダーをもってして、影のリーダーはお前だと言わしめているのが櫻井翔くんです。
嵐のメンバーの中ではできる男として頼りにされているようです。

ハワイでのステージ準備のとき「aloha to everyone」というTシャツを着て現地のスタッフをまとめたというエピソードもあります。
アロハは 親しみを込めた挨拶、エブリワンは、嵐のライブに関わる全ての人。
「素晴らしいステージになるよう みんなで一緒に頑張りましょう。」と英語で書かれたTシャツは、ハワイの現地スタッフの心を一つにし、ステージは成功に終わる。

できそうでなかなかできない、ちょっとした気遣い、いかにも翔くんらしいエピソードですね。

 

親子ともにそういったDNAが引き継がれているからこそ、しっかりとした地位にまで登りつめられたのかもしれません。