他にない、真似できないものを身につけた者が生き残る
情報格差がなくなってきた時代
インターネットが普及し、あらゆる情報があふれている昨今、常にいろいろな知識や技術がネットを通して入ってきている。
私たちは、ネット接続環境があれば、家からいつでも、世界に散らばっているいろいろな知識やノウハウといったものを、いとも簡単に手に入れることができます。
そして、インターネットサーフィンをしていると、似たようなページが山ほどあったりします。
他にないから価値がある
さすがに多少文章は違うにしても、記載している内容や切り口は、ほぼ同じで、デザインがちょっと違うといった感じです。
これは、誰でもある程度の知識を簡単に得ることができるようになり、さらには、誰でも簡単に情報発信できる時代になってしまったからでしょう。
よくネットでは、「キュレーション」という言葉が使われます。
これは、ある知識をそのまま知識として紹介するのではなく、ある知識を別の知識と結び付け、そこに独特の視点から光をあてて、その人ならではの切り口やコメントをしていくというものであり、こうしたものは、他にないものとして、それだけ価値がある情報となるでしょう。
そして、そういったものが提供できるためには、日頃の努力、情報収集など、常に好奇心をもっていろいろなところにアンテナをはっておく必要があるでしょうし、あるいはそういったことをやってきた中で、独特の情報収集や視点を養っていくしかないのでしょう。
誰にも真似できない一芸に秀でた人間になる強み
いろいろな模倣品があふれるなか、生き残っていくのが本物だとすれば、一つの才能を身につけるということは、大きなアドバンテージになります。
日本の教育は、最近はある程度変わってきていますが、大体は大学でもすべての科目で及第点を摂る必要があります。
そして、英語も数学も80点という子のほうが、英語は50点だけど数学は100点という子よりも、頭が良いなどと言われたりします。
英語と数学が80点で合計160点、英語50点に数学100点を足しても150点、合計点からいっても両方80点の子のほうが頭が良い。
いまだに、こんなばかげた比較が真面目にされていたりします。
同じような学力の人間を作っても仕方ないと思うのですが、社会に出てからも、アイツは何やらせてもパッとしないけど、ただこのことだけは、アイツの力が必要だ。余人をもって代え難いと思わせた人が生き残れるとも言えるでしょう。
巨人の鈴木選手は、一芸に秀でることで生き残った
余人をもって代え難いということで思い出すのが、巨人の鈴木選手です。走りのスペシャリストとして、巨人を20年近く支えてきた大ベテランです。
接戦になり、1点を争うゲームになると代走として出てきて、盗塁や素晴らしい走塁で1点をもぎとってくる、まさにスペシャリスト。
巨人といえば、重量打線というイメージがあり、走れる選手というものがあまりいません。
しかし、厳しい投手戦とかになると、1対0なんていう試合になり、いかにして1点をもぎとってくるかになります。投手戦でピッチャーがいいので、ホームランなんかは期待できません。
フォーボールで出塁したランナーが、盗塁し、犠牲フライで進塁し、内野ゴロの間にホームに戻ってくるといったノーヒットで1点とる野球も必要になってきます。
この鈴木選手は、ほとんどが代走、代走のあとの守備や、たまたま順番が回ってきての打席というものもありますが、ほとんどが代走としての出場です。
打って守ってでなんぼの野球で、走ることに関しては、巨人の中では余人をもって代え難い存在となったことによって、37歳になる今でも1軍現役を続けています。
鈴木選手の日頃の努力というものがあったのだと思いますが、彼は1芸に秀でたために、1軍で生き残ることができたといっていいのかもしれません。