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ここ20年、日本人の質が下がったような気がする

 

陸上で日本人が活躍できない理由?

 

今、中国では世界陸上をやっているが、なかなか日本人の選手が出てこない。


もちろん、黒人は体力的に陸上競技は有利で、欧米の選手は多くは黒人を使い、中国などはあれだけの人口の中から優秀な人材を選べるんだからそれは強くて当たり前だという考え方もあるでしょうが、それにしても、日本人にももう少し頑張って欲しいと思うところです。

 

たかがスポーツといってしまえばそれまでなのですが、五輪や世界選手権といったスポーツイベントのメダルの数は、その時の国力に比例するとも言われます。
つまり、国力があるところは、それだけスポーツにお金をかけ、またしっかりとした教育ができるということになります。

ある人は、五輪選手なんか国民の税金でやってるけど、俺は五輪なんか興味ないし、そんなもん見なくていいしやらなくていいから、税金やすくしてくれよ!と実利的なことを言ったりする。

それでも、日本のスポーツ選手は、海外の主要国の選手に比べえると、金銭面も含めあまり待遇が良くない。これで良い成績だけ残せ! メダル取ってこい!なんていうのは酷な話である。

競走させない教育の弊害

 

日本の教育現場では、運動会で徒競走をやっても順位をつけなかったりするらしい。足が速い遅いといったものは、ある程度生まれつきの素質というものもあり、それに順位をつけると平等じゃないというのだ。
こんなことをやっていると、足が速い子はヤル気を失くしてしまう。活躍して目立つ場を奪われてしまうのだ。

数学ができる子がいて、英語ができる子がいて、運動ができる子がいる。数学も英語もできなくて運動音痴、でも歌を歌わせるとすごく上手い! 楽器を演奏させるとメチャ上手。いやいや勉強も運動も音楽もダメな子も中にはいるかもしれない。でもそういった子も他の子供にはない良さがあるものです。人の心を思いやることに長けていたり、ゲームが得意だったり。

本来、競争の中で、自分の得手不得手を知り、また勉強ができない奴だとバカにしてた子が、歌はあの子が上手いというように一目を置くようなることで、他人を認めることを学んでいく。他人の良さを理解することで、お互い尊敬の念をもち、人間関係が形成されていく。そういうものなのに、はなから競争させないというのはどういうことなのだろうか。

スポーツだけじゃない、地盤沈下している日本人

 

日本はよく、バブルがはじけ景気が低迷し、ろくな政治家が出てこないで、失われた20年とか言われる。
まあ、経済状況が良く上手くいっている間は、誰が政治をやってもうまくいくので、それであぐらをかいてきてしまったツケが今になってでてきている。

ところが、このように悪くなったのをすべて政治家のせいにしてしまうのは簡単だが、日本人の質自体が落ちてきている気がする。

その代表例が、歩きスマホ要するに周りを見ていない、見ていても気がまわらない。相手がどうしてほしいかを察する力が落ちてきている。
これは、スマホで一人でゲームするようになってきたからのような気がする。
つまり、自分とスマホの画面の世界だけに入り込んじゃっているのだ。

失われつつある、日本の良き文化 阿吽の呼吸・察しの文化

 

日本は昔からよく腹の文化、「言わなくてもわかる」「阿吽の呼吸」「察しの文化」と言われ、心の機微を読み取るのがうまい、つまりおもてなし上手が取り柄であったのだが、それが失われてきている感じがする。

昔は、横断歩道を渡っていても、あっ!右折車がいて、そろそろ赤になりそう。直進車の状況はこうで、他の歩行者の状況もこう、だから少し駆け足で横断歩道を渡ってあげて、右折車が右折しやすくすることで、交通の流れもスムーズにしようと、周りの状況をよくみて臨機応変に対応していたと思う。
自然とそうしているし、そうするのが当たり前になっていた。

ところが、今は青信号が点滅し、もう赤になってるのにゆっくりとスマホを見ながら横断歩道を渡っている。KYというか、少しは周りを見ろよ!と言いたくなる。
要するに自分勝手ちゃんが増えている。日本人の質は相当下がっているような気がするのである。

日本がここまで栄えてきたのは、相手への気遣い、心配りによる日本品質であったのだが、こういった人たちをみていると、もうこれからの日本はダメだなという気になってしまう。
誰が悪いというのではなく、なんとなくこうした社会の風潮が、人を変えてしまったのだろう。