超過敏社会が日本をダメにする
最近、世の中が過敏症になっている。しかも病的なほどだ。
よく潔癖症で、外ではトイレに行けないとか、トイレに入ると殺菌消毒してシートを敷いてからでないと用を足せない。
これと似たような状態になっていると思うのである。
まあ、トイレでの潔癖症に関しては、ノロウイルスに感染なんていうことを考えると、やりすぎではないとも言えなくもないが、中には自分が潔癖症であること自体を自慢して得意になって言いふらしている人がいる。さすがにそれは、「それじゃ、あなた自身はどれほど清潔なのか?」と言ってやりたくなってしまう。
競争させない学校教育が、未来の日本をダメにする
最近は、学校の運動会でもかけっこをして順位をつけないという。
昔は、学校でテストで悪い成績をとると、げんこつで頭をごつんとやられたり、ケツバットされたり、竹刀で肩を叩かれたりした。
それが当たり前だった。
それよりも昔、戦時中の学生の教育などは、少しでも誰かが時間に遅れると、連帯責任だといって一列に並ばされて、みんな往復ビンタを食らったという。
あまり暴力に訴えて恐怖政治をするというのも問題だが、甘やかしすぎはもっとよくない。
子供が悪いことしてるのに、教師が叱ると、「暴力教師だ」といってモンスターピアレンツが騒ぎだし、PTAが過剰に反応する。
従って、教師は子供が悪いことしても、げんこつなんてとんでもない。注意しただけで、差別とか言葉の暴力だとか、傷ついたなどとクレームをつけてくる。
だから、親にも教師にも殴られたことがないなんて軟弱な奴らができあがる。
徒競走ですら順位をつけないが、社会にでるとそうはいかない。仕事ができるできないで、どんどん差がついていく。
資本主義社会であるからには、弱肉強食だ。ビジネスの社会、食うか食われるか。
だから、少し悪口を言われたぐらいで、自殺してしまったり、出社拒否を起こしてしまったりする。
競争させない、叱らないというのは教育にとって非常によくない。
昔なら何でもないことが、今は大騒ぎ
自分が勉強さぼって点数がとれなかったため、先生に頭をゴツンと1回やられたぐらいで、暴力教師だとさわぐ奴らが社会にでると、免疫がない。
昔の人に言わせてみると、今、昔を振り返ってもらうと
♪ 何でもないようなことが、パワハラだったと思う~
というような感じにでもなるのだろうか。
ちょっと上司から命令されると、やれパワハラだ! 異性がコミュニケーションを円滑にしようと「彼氏とかいないの?」と言っただけで、セクハラです!
定時になったら帰ります! 残業をちょっと言いつけるといつまでも根にもち、会社をブラック企業だと言いふらす。
まるでなってない。
少し前は、サービス残業なんて当たり前。仕事や顧客が優先だから、昼食食べる時間がないなんてしょっちゅうだが、それは当たり前。
人様からお金をもらって働かせてもらうということは、そういうことではないのだろうか?
それをちょっと命令するとパワハラ、冗談をいうとセクハラ
これじゃ、コミュニケーションもろくにとれはしない。
以前は、パワハラみたいなことをされても、それを逆に皮肉ったりしてジョークで返したり、冗談もセクハラだなんんていわないで、やんわりと受け止め、逆に言い返していた。
要するにそういうことで人と人との距離をうまくはかって、仕事を円滑に進めていこうなんて時代は終わったのかもしれない。
過敏で他人を悪者にするのではなく、何を言われようが俺は俺!という強さ
仕事は仕事、プライベートはプライベート、会社の行事には一切参加せず。
会社の人に家族のことはいっさい離さず、休みはお互い何をやっているかわからない。趣味すらわからない。
口を開けば、ビジネスに関係がある最低限のことを連絡するだけ。
ある意味、これはこれでスマートで、私もどちらかというと、これで良いという考え方である。
でも、相手が何か言ってきたときは、すぐにパワハラやセクハラだなんて目くじらを立てず、一歩大人になって、受け流したり、うまい返しをしたり、そういうことができる人間こそが仕事ができる人なのではないかと思うのである。
とにかく、今の人は、「私にかまわないで」オーラみたいなのがあり、ちょっとしたことで傷ついてしまう。
ある意味、何を言われても平気、俺は俺!ぐらいの図太さも必要なのではないかと思うのである。