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影の人というイメージが強い山本攻児さんの、意外の記録

昔、巨人に山本功児という選手がいたのはご存じだろうか。
長嶋監督の時代、まだ王選手がグランドにいた時代の話です。

くねくねとした独特の打撃フォーム

左バッタボックスに立つと、くねくねとしたフォームからヒットやホームランを打つ代打の切り札的存在でした。

山本攻児が一塁手であったとき、同じ一塁手には、あの王選手がいました。

そしてその後は大洋からベテランの松原選手がきて、そしてその後はヤッターマン男、中畑清一塁手として活躍していました。

外野はというと、王さんが引退した後は、センターには俊足のスイッチヒッター青い稲妻こと松本選手がいて、さらにクロマティ、そして残るもう一つのポジションは、外国人選手やおしりフリフリの打撃スタイルの淡口選手などがいました。

ニセこうじ じゃない! 山本攻児だ!

また、山本攻児選手が活躍していたころは、広島東洋カープには、ミスター赤ヘルこと山本浩二がいて、名前の読みが同じ「やまもとこうじ」だったことから、ミスター赤ヘルに対し、代打出場が多かった山本功児は、広島ファンから「ニセこうじ」などと野次を飛ばされていました。

巨人時代は、代打専門で規定打席に達したことがなかった山本攻児さんも、ロッテに移籍し、規定打席を打ったり、シーズンの途中ですが、打撃ベスト10傑にも顔を出し、わずか2日天下でしたが、首位打者になった日もありました。

巨人の4番を立派に努めた打撃職人

そして、なんとなんとこの山本功児さん、実はなんと第43代の4番打者だったのです。
長嶋さんが監督だったとき、ミーティングでスタメンが発表され、1番から名前が読み上げられていきましたが、「3番、ファースト 王」、「4番、ライト、山本功児」、・・・

世界の王をさしおいてのいきなりの4番抜擢! しかも練習でしか守ったことがないライトで先発。
本人もビックリポンだったらしい。

しかし、この試合、山本功児さんは、2本塁打を放ってチームの勝利に貢献。何とか大役を果たすことができた。
長嶋監督の勘ピューターというか、動物的勘というか、しっかりと選手を見る目があってこその4番抜擢だったのでしょう。

巨人の公式ガイドブックには「歴代4番打者と成績」に第43代4番打者として名を刻み、4番打者としては通算7試合で29打数11安打、2本塁打、6打点、打率3割7分9厘。

なんとこれは、巨人の4番打者を20打数以上務めた選手の中での最高打率らしい。
意外な記録である。

レベルの高い打撃センスを持ちながら、代打での出場が多かった山本功児選手であるが、こんな意外な記録があったんですね。