最高齢の人気ゾウ、「はな子」の生涯
人気の町、吉祥寺にあり、ジブリの森美術館も目と鼻の先にある井の頭動物園。
はな子さんのご冥福をお祈りして
その井の頭動物園の人気の目玉となっていた日本最高齢のインドゾウであった「はな子」さんが、69歳の生涯を閉じました。
新聞や雑誌では、「人気のゾウ、惜しまれつつ・・・」、「長い間、親しまれてきたゾウさん・・・」などといった内容の報道をしています。
確かに、はな子は、絵本やテレビドラマの題材としても取り上げられ、老若男女、世代を超えて愛されてきたのは事実です。
はな子は、人気者どころか、厄介者扱いをされていた孤独のゾウ
しかし、その一方では、「世界一悲しいゾウ」とも言われていました。
はな子は、戦後にタイ政府から日本へ送られましたが、1950年から日本各地を回り、戦後復興で頑張る人たちを勇気づけてきました。
そして、井の頭自然文化園がある武蔵野市・三鷹市からはな子の展示を求める声があがったことから、やがて上野動物園から井の頭自然文化園に移されることになりました。
しかし、ゾウはもともと群れで生活をする動物です。
それが1頭だけの生活が長く続いたため、ストレスや心労で気性もどんどん荒くなり、深夜にゾウ舎に侵入した酔っ払い客、さらには男性飼育員を踏み殺してしまい、「殺人ゾウ」のレッテルを貼られてしまいます。
当初は、殺処分も検討すべきだとの声もあがりましたが、なんか、はな子を狭いゾウ舎の中で、前足を鎖でつなぐということで事なきを得ましたが、はな子は2ヵ月以上もの間、狭いゾウ舎で前足を鎖につながれた状態にされ、やせ細り、4本のうち3本の歯を失いました。
これじゃ、まるで人間で言えば刑務所の受刑者です。
いや、鎖でつながれて身動きもままならないのは、受刑者以上の仕打ちです。
本来は群れの仲間と一緒に、緑生い茂る草原で暮らすゾウ、それが、たった1頭で高齢になるまでずっと草木の無いコンクリートの古くて狭いゾウ舎で暮らし、時には鎖でつながれていたのですから、はな子の一生ということで考えると、酷な話になります。
テレビなどでは、単に、「井の頭公園のマスコットだったはな子が息を引き取った」という報道だけでしたが、こうした経緯を考えると、すごく複雑な思いがします。
何も知らない人は、「ああ、最高齢のゾウさんがいなくなっちゃって、さびしいわ。 人気だったのにねぇ」で終わってしまう人も多いのではないかと思います。
確かに、人気者であったことには変わりありませんし、ウソではないでしょうが、それまでのドラマというものを知ると、また違った世界が見えてくるのかもしれません。
人間不信になった孤独なゾウの心の扉を開いたのも、やはり人間だった
人間不信になったはな子は、付きっ切りで世話をした飼育員に対し、安心して手を舐めてくれるようになるまで6年の歳月を要しました。
体重が戻るのには8年かかったそうです。
かたくなになった孤独なゾウの心の痛みを癒やしていったのも、見返りを求めない飼育員の深い愛情だったということは、はな子のゾウとしての孤独な一生を考えるとき、唯一の救いなのかもしれません。
こうして、本来の温厚さを取り戻していったはな子は、井の頭動物園のマスコット的存在として、人気を集めていくようになったのです。