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東京五輪どうなる? スポーツに対する冒とくとしてか思えない海の森という発想

小池東京都知事が、五輪のカヌー・ボートの会場を見直しをするとうことでいろいろと物議をかもしています。
ワイドショーでは連日、もう飽きるくらいこの話題が取り上げられ、週刊誌でもいろいろとコメントがされていたりします。

五輪は本来アスリートのためにあるべき

五輪をスポーツの祭典として考えるのであれば、アスリートファーストを考えるべきであろう。
この考えであるならば、政治的理由だといってモスクワ五輪をボイコットするなんて発想は、毛頭出てこないはずである。

アスリ―トファーストなら、絶対にありえない海の森のボート競技

小池東京都知事の見直し案として、海の森水上競技場以外に、埼玉県戸田市の彩湖、宮城県の長沼、岐阜の長良川などがあがっている。
この中でアスリートのことを考えたら、一番最悪の場所が海の森水上競技場だ。
波を抑えるために、波が入ってこないようにするといっているが、ボートやカヌー競技では大問題となる風が強い場所にある。
だいたい風力発電に使われるような風車があるような場所で、ボート競技をやること自体、アスリートからすればとんでもない話だ。
実力が発揮できるわけがない。
それに海水なので、ボートも痛みやすく、すぐに部品が腐食してしまう。海水でボートやカヌーのような本来湖や川で行うような競技をやろうというのがそもそも間違っているのだ。こんなようじゃレジェントなんかになり得ない。
それに、海で泳いだことがある人ならわかると思うが、海(海水)とプール(淡水)の浮力は全然違う。海で軽く5km泳げていい気になって、プールで1km泳ぐとヘトヘトになる。そのぐらい浮力が違う。そんな浮力が全く違うようなところで、五輪のレースをやろうとしているのだ。
本来、湖や川で行うボートやカヌー競技であるが、海なんかで行ったら、浮力が違うので、それこそもう全く別の競技になってしまうといっても過言ではないのではないだろうか。

だいたい、本来湖や川で行われている競技を海でやろうなんという発想自体

ボートやカヌーの歴史をも無視した、スポーツに対する冒とく以外の何ものでもないだろう!

そもそも論をいうと、五輪なんかやめちまえ!

五輪なんかやめちまえ! こんなことを言うと、五輪目指して頑張っているアスリートやその関係者たちからお叱りを受けてしまうかもしれません。
また、メジャーなスポーツはともかく、マイナーなスポーツこそ、五輪で目立って底辺を拡げていこうということからすると、五輪は大事だというのもわからなくもありません。

しかし、多くの国際大会が行われている競技であれば、何もお金をかけて五輪をしなくても別にいいじゃないかということになります。
五輪で、違う種目のアスリートとの交流を深めることができ、競技にも幅が出てくるというのは、確かにそうかもしれません。
そこは否定しませんが、多くの競技が一度に集まって祭典を開く必要がどこにあるのかということです。

サッカーなどのように毎年ワールドカップが開催されているものに対して、なぜわざわざ五輪でやらなくちゃいけないのか、理由がわからない。
多くの競技は、大なり小なり、国際大会があるし、五輪の種目となるものは国際的に人気があるものだから、当然ほとんどが国際大会があるものになる。
つまり、別に国際大会を毎年やっているようなものに、なぜわざわざ五輪なんかお金をかけてやる必要があるのかということだ。

五輪の意義を考えたら、五輪存続の意味すらない

五輪の意義を考えたときに、世界平和とかいうことを言う人がいますが、そんな偽善はもう成り立ちません。
なぜなら、すでに日本だってモスクワ五輪を政治的理由からボイコットしているじゃないですか!
こんな政治の道具に使われている五輪のどこに、世界平和があるのでしょうか?

ハッキリ言わせてもらう!
五輪は、オリンピック委員会の委員が、五輪マネーでお金儲けをするための道具だということです。

要するに、五輪は、オリンピック委員会が、開催国に対するタカリの口実・道具になっているということだ

東京五輪はいいが、その後、最近、五輪にお金がかかるということで、五輪招致に手を揚げる国がなくなってきている。
つまり、金はかかるが自国のための利益にならないような五輪なんか開催してられるかってなもんで、ごもっともです。

近い将来、五輪に立候補する国がゼロになってくるのではないか、オリンピック委員会の奴らと、それに群がるコバンザメのような輩を儲けさせるためだけにあるようなものである。

それで一番の迷惑を被るのが、アスリートたち、そして開催国の国民である。
だからもう、五輪なんかなくしてしまえばいいのである。

どうしてもやりたいのであれば、毎回ギリシャで開催すればいい。


同じ施設を使うのだから、お金もそんなにかからないだろうし、発祥の地でやるという大義名分もある。そうするのが一番合理的じゃないだろうか。

五輪のマークの青・黄・黒・緑・赤は、それぞれオセアニア・アジア・アフリカ・ヨーロッパ・アメリカを表しているが、今のようなオリンピック委員会の食いものにされて、高額な費用がかかる五輪を続けているようだと、一生、アフリカでの五輪はできない。
本当の意味での五輪ということであれば、何も世界の紛争地域でやれとはいわないが、貧しい後進国でも開催できるようなものであるべきではないだろうか?