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高校野球の鬼、故・蔦監督が、本当に伝えたかったこと

2015年、夏の高校野球も決勝 気になる1校の格差

2015年、今年の夏の全国高校野球大会、4強には清宮選手がいる早稲田実業とオコエ選手がいる関東一高が残り、もしや東京勢同士の決勝戦になるかも? と期待をしていましたが、東京勢を応援していた人には残念ながら決勝戦は東海大相模仙台育英高校との戦いになりました。

 

選挙の1票の格差ならぬ1校の格差なんてことも言われています。愛知県が189校、鳥取県が25校ということで、1校の格差は7・56倍だというわけで、主催の朝日新聞社は1校の格差是正は。せめて3倍以下にして欲しいなんていう話もあります。

う~ん、確かに・・・ と思ったりもします。

 

まあ、その話は置いておいて、今年は100周年ということですが、参加校は全国3906校、そのうち甲子園にこれるのが49校、そして栄冠の優勝を勝ち取れるのはたった1校ということになります。

1校の喜び、3905校の涙

 

つまり1校の生徒たちの歓喜の裏には、3905校の涙があります。


多くの高校球児たちが、泣きながら甲子園の土を集めている姿を見ていると、昔やまびこ打線で甲子園を驚かせた故・蔦監督の言葉を思い出します。

清原や桑田など多くの有名野球選手を出したPL学園という甲子園の常連校をはじめ、多くの強豪校がひしめく甲子園の舞台で、四国三郎こと吉野川と山に周囲を囲まれた徳島県の山間部にある無名の学校だった池田高校の監督として28歳の若さで就任した、甲子園のやまびこ打線で有名な故・蔦監督の言葉です。

故・蔦監督は、1992年、ノックが打てないほど年老いたということでバットを置くことになるのですが、それまでの40年間、
「山間の町の子供達に、一度でいいから、大海(甲子園)をみせてやりたかったんじゃ」
この熱い思いに動かされた教育委員会も、池田高校の全日制と定時制を交互に異動させるという特別措置を取ることで、池田高校でずっと指揮を執り続けることになります。

そしてついに、1982年、夏の甲子園で大会新記録となった6戦85安打という記録とともに、山間部の子供達を優勝させ、大海という別世界を見せてあげることに成功した。この時のナインにいたのが、元巨人の投手、水野雄仁さんです。

高校野球というと、バントと言われるくらい、バントが勝敗を分けると言われています。特に1点差ゲームとなるとなおさらバントの成功・失敗がカギをにぎります。
しかし、蔦監督の野球は違いました。

「ワシはバントとかコツコツ当てていく野球は嫌いなんじゃ。野球に理屈はいらん。思い切り、のびのび打ったらええんじゃ。」
これは夏の甲子園で優勝した1982年の蔦監督の言葉です。まさにやまびこ打線。

蔦監督は、金属バットという特性を見抜いて、専門家の意見を聞いて、生徒に徹底的に特に上半身の強化をさせ、通常の外野フライがホームランになるような練習をさせていた。

高校野球の鬼、故・蔦監督が、本当に伝えたかったこととは

 

そして、負けて涙を流している球児たちを見ていると、思い出す言葉が、次の言葉です。

「人生は敗者復活戦」
負けて泣いている選手に、蔦監督は続けたと言います。

高校野球は3年間だ。
お前ら社会に出て行けば必ず失敗する。

だけど、目標をかなえたいという強い想いがあるから頑張れるんだ。

40年間にも渡る監督人生の中で、無名な山間部の高校を約20年かけて甲子園に出場させることに成功し、30年かけて優勝させた故・蔦監督の言葉だけに、「人生は敗者復活戦」という言葉には重みがあるのだろう。