似たもの同士ってなぜ惹かれるのだろうか
似たもの同士はなぜお互いに惹かれるのだろうか 新年度ともなり、新たな人間関係ができてくる時期ですが、よくよく観察してみると似たような感じの人でグループを作っていることが多いような気がします。
類は友を呼ぶ
『類は友を呼ぶ』という諺があります。
これはご存知のとおり、気の合う者や似通った者同士は、自然に寄り集まって仲間を作るものという意味です。
英語では、”Birds of a feather flock together”と言われます。 直訳すると、同じ羽毛を持つ鳥が集まるというような意味になります。
『類は友を呼ぶ』は、もし「騙す」「欺く」「嘘をつく」といったようなことを考えていたり、そういったようなことをしていると、やはり周りに似たような人物が近寄ってきてしまうということで戒めの意味にも使われることがあります。
新入社員やクラス替えの時
新入社員として新たに会社に入社したときや、クラス替えになったとき、何かのグループに入ったときなど、多くの人は、まず周りを見回して自分にふさわしいような人を見つけ、声をかけたりします。
逆に、気になる人がいて、お近づきになりたいと思ったならば、その人のコピー人間とまではいかなくても、しぐさを真似てみたりすると、仲良くなれる確率がアップするといわれています。
なぜならば、人間は自分と正反対のタイプの人間に対しては、まず警戒心が働いてしまいます。
ですからなかなか近づこうとするしません。 見た目の服装も全然違うし、話し方も違う、趣味もどうも違いそうだし・・・ 仲良くなれる感じがしないと最初から敬遠してしまうのです。
類似性の法則
ところが自分と同じような感じの服をきていたり、しゃべり方のトーンも似ていて、趣味も合いそうには好感を抱きやすいのです。
これは『類似性の法則』と言われています。
これを逆利用したのが、商談の時などに、しぐさを取引先の人に合わせて、同じようなしぐさをするとか、呼吸やしゃべるトーンを相手に合わせるといったテクニックがいろいろと紹介されているのです。
恋愛でも似たもの同士?
仕事のパートナーや友達レベルであれば、同じ夢をもつ同士・同僚とか、同じ大志を持っているグループ仲間、同じ趣味を持っている友達といった具合によくわかります。
ところが、恋愛ともなると、よく「相手には自分にないものを求める」とか「自分とは逆のタイプの人を好きになる」ということも言われます。
しかし、こうしたカップルをよく観察していると、根本的な部分では共感できる思考を持ち合わせていることがほとんどなのです。
また似たもの夫婦ではないですが、恋愛関係が深まっていくにつれて、知らず知らずのうちに2人が似てくるということもあります。
仲が良いと言っている似たような先輩や後輩に対して、ダメな自分が鏡映しされているみたいだと嫌悪感をもったり、すごく仲良さそうなカップルなのに周りからみていると性格はまるで真逆といったケースもあると思います。
しかし、根本的に大事なポイントは、思考の根本的な部分で共感できる何かをもっているということなのでしょう。
AIと人間の共存、得意なことと不得手なこと
最近AIという言葉がよく使われています。 チェスだけでなく、将棋や囲碁の世界でもAIがプロに勝ったなどとニュースになっています。
AIとは何ぞや
AIとは何ぞやと聞かれると、多くの人がAIつまり Artificial Intelligence の略だから人工知能だと答えると思います。
それでは人工知能とはどのようなものを言うのでしょうか?
AIと対照的なのが私達生き物の頭脳であり、いわゆる自然が生み出した頭脳ともいえます。
生き物の頭脳のことは、自然が生み出したものであることから、自然知能ともいわれます。
そしてこの自然知能をコンピューター上で実現させる情報処理メカニズムが、いわゆるAI(人工知能)になるのです。
AI研究が一時下火になったAIの決定的欠点とは
今ではAIの研究は盛んになり、人間の頭脳を上回り、それどころか人間がAIに支配される時代がそこまできているとさえ言われています。
実は、1950年代末には、人間と同等の知能をもつコンピューターをつくることなんか容易であると考えられていました。
まだ東京五輪前で、新幹線も開通していない時代。やっと関門トンネルが開通し、長嶋茂雄さんがプロ野球でデビューした頃の話です。
しかし、AIには決定的な欠点があり、それがネックになり開発は一時下火にもなりました。
AIの欠点、フレーム問題とは
そのAIの欠点とは、フレーム問題といわれるものでした。 私達が、犬をみれば、幼児でもすぐに見た瞬間に犬とわかります。
しかし、AIは犬を認識したときに、計算にあたり対象を厳密に定義する必要があるのです。
これを枠つまりフレームで囲って定義していくことからフレーム問題と言われています。
コンピューターは、犬というものに対して、この世界との関係のすべてを定義する必要がでてきてしまうのです。
犬は、動物である。
動物とはそもそも何?
4本足
足ってそもそも何?
尻尾がある
尻尾って何?
そんなところからすべてを定義しなければならないのですが、当然そんなことは不可能です。
こうしたフレーム問題がAIが発展する大きな妨げになったのです。
得意な計算や推論の分野で活路を見出されたAI
やがて、コンピューターが得意な計算や推論を重ねていくことで答えを導き出していくエキスパートシステムが開発され、コンピューターが専門家の能力が持てるものとしていろいろな企業で開発がはじめられました。
AIというと万能と思う人もいますが、そのデータを入力したりルールをインプットさせているのは人間です。
決められたルールの中では、無敵の威力を発揮するAIですが、人間の思考や行動は不確定要素も多く、ルールを超えたものに対しては答えが出せないのです。
初期の将棋ソフトなどは、予想しなかった手を打たれると、初心者でも打たないようなヘボな手を打ってきたり、意味のない手を繰り返したりします。
さすがにある一定レベルの将棋ソフトであればそんなことはないのですが、例えば藤井壮太さんの対局などで、相当不利と判断していた局面で、次の一手が指された瞬間、形勢が180度逆転してしまったりします。
つまり、プロの最高レベルの棋士が指す次の一手が予想できていなかったことになり、そういった面から、ルールの範囲内であれば抜群の記憶力と分析力で正しい答えが見つけられるものの、そのルールにないものに対しては全然ダメということなのです。
決められたルールの中では抜群の力を発揮するAI、AIと自然知能のそれぞれの特性を活かして、AIに使われるのではなく、うまく活用していけるようになっていくことを祈るばかりです。
たかがBGM、されど売り上げをも左右するBGM
スーパーに行っても、喫茶店に入っても、パチンコ屋に行ってもBGMが掛かっています。 年末のクリスマスシーズンになると、街中にクリスマスソングが流れています。
たかがBGMされどBGM たかがBGMと思われるかもしれませんが、BGMには経済効果を高める働きがあります。 BGMがあることによって消費が促進されるのです。
BGMの3つの効果
BGMには、イメージ誘導効果、マスキング効果、感情誘導効果があります。
イメージ誘導効果
ゆったりとしたクラッシックのバロック音楽が流れていたりすると、心が落ち着いてきて、安らぎを演出する上品な環境が作り出されます。
また、パチンコ屋に流れている軍艦マーチなどは、戦闘モードで射幸心をあおり売り上げを上げる効果があります。
さわやかで軽快なBGMがかかっていると、気分も楽しくワクワクした気分になってくるから不思議なものです。
クリスマスにはクリスマスソング、お正月にはお正月にあった音楽が流れていることで、季節感も演じることができ、それに関連した商品も売れやすくなるという効果があります。 これらはBGMが全体のイメージを誘導するのに一役かっているのです。
マスキング効果
マスキングとは、邪魔な音を打ち消すことで、喫茶店の店内にBGMを流すことで、近くを通る幹線道路を走る車の音を消し、店内に独自の環境空間をつくることができます。
レストランでもBGMをかけることは、厨房で調理している音や食器を洗う音などを打ち消すのみならず、近くの席の客の話し声を聞こえにくくさせる効果があります。
もし、レストランや喫茶店でBGMがなかったら、街中のラーメン屋のように調理する音が聞こえたり、近くを走る車の音が絶え間なく聞こえたりすることでしょう。
このようにBGMをかけるだけで、落ち着いた空間を演出することができるのです。
感情誘導効果
リラックスをするためにクラシック音楽を聞く人がいます。
またリラックス音楽ということで気分が落ち着ける音楽がはいったCDなども販売されています。
BGMがあるだけで、ゆったりとくつろいだ気分になれることもあります。
実際に、スローテンポのBGMを流した場合、客の足取りを遅くさせて店内の滞在時間が長くなり売上が上がるというデータもあります。
たかがBGM、されどBGM。 BGMがあるかないかで、売り上げにも大きく関係してきます。
オフィスなどでは、快適な曲を流すと生産性が向上するともいわれています。 BGMにはいろいろな効果がありますが、上手にBGM効果を活用してみるのもよいのかもしれません。
社会の発展を妨げる困ったモンスターたち
モンスターというと、モンスターピアレントなどの言葉からも推測できるとおり、クレーマーのことです。
そしてシルバーというのは、定年を迎えて暇を持て余している団塊の世代の人たちに、意外とこうしたクレーマーが多いことから、『シルバーモンスター』と呼ばれています。
なんだ、老人のわがままなクレームだろ? なんて思ったら大間違いです。
今や、団塊の世代の人たちのクレームが社会活動の妨げになっていて、大きな社会問題になっているのです。
暴行で検挙された高齢者の数は、20年前の約40倍にもなっているのです。
シルバーモンスターが生まれる背景
どうしてシルバーモンスターが生まれるのかというと、疎外感や孤独感からかまってほしいというのがあり、それが満足されないと怒りの導火線に火がついてしまうのです。
こんな例があります。
病院の持ち合い室で、突然70代とみられる男性が、大声を張り上げた。
見ると、その横でなきべそをかく幼児が母親に抱かれている。
職員が「大丈夫ですか?」と声をかけると、その男性は「大丈夫なわけないだろう! こんなに泣いているじゃないか!」と激高したといいます。
さらに、「孫に何かあったらどうするんだ! 責任者を呼べ!」と怒鳴りまくったそうです。
その幼児はというと、定期検診で来院していて体調が悪いわけでもなく、泣いていたのは待合室を歩き回っているうちに転んでしまったからで、見ると外傷もなく、その男が怒鳴っている間には泣き止んでいました。
孫と娘に付き添っていたその男性は、「自分が頼りにされていること」に満足感を覚えていたのですが、そこへ「孫が泣く」という事態が発生し、それが許せなかったのです。
もっとも厄介なのは団塊モンスター
前述の高齢の男性は、まだ孫や娘かわいさに感情が爆発してしまったという点ではかわいいものですが、中には厄介な団塊モンスターというモンスターがいるのです。
それが、団塊モンスターといわれるものです。
今まで、企業戦士とした仕事に没頭し、厳しい競争社会に身を投じで、戦後の日本の高度経済成長を支えてきて、定年を迎えた段階の世代の人たちに多いパターンとして、団塊モンスターがあります。
この世代は、一生懸命仕事をしてきて、厳しい競争社会の中を生きてきて、交渉力と知識を武器に相手を論破して成果を上げてきたという自負があるプライドが高い人たちです。
自分の生きざま、知識、交渉力に自信とプライドをもっている厄介な怪物で、正論で意見をしながら、しだいに説教へとエスカレートしていくタイプが多いのです。
金品をかすめとろうとしたり、悪意をもってクレームをつけてきているわけではないところが厄介なところなのです。
金品をかすめとろつとしたり、悪意を持っているのであれば、録音・録画して証拠を残して、弁護士に相談して裁判とすれば、彼らは金品をかすめとろうとしたり、悪意をもっていたことがバレてしまうので、「裁判」という言葉を聞いただけで引っ込んでしまったりします。
ところが、団塊モンスターは、企業のためよかれと思ってやっているケースも多く、善意から説教しているのです。
プライドは高く、でも会社を辞めて自分の居場所をなくし、鬱屈した感情があり、それが善意の説教という形で爆発しているのです。
現役時代に大きな業績を残したり、周囲からチヤホヤされたりしていたのに、定年退職した後、役職・肩書を失い、ただのおじさん扱いをされることで疎外感を感じるようになり、それがクレームの動機になっていたりします。
また論破することで、自尊心を保とうとしているのです。
クレームを受けたほうは、ただでさえ忙しいのに長々と説教はされるし、かといって善意で言われているものを無下にすることもできず、対応に困ってしまうのです。
団塊クレーマーは、「店内の陳列をもっと工夫しろ!」「接客態度がなっていない!」「安全対策を怠っている!」などと言ってくることが正論なだけに、厄介なのです。
味わい深い名曲『なごり雪』
先日、関東地方にも季節外れの雪が降りました。
真っ白な雪が薄いピンク色に咲いた桜の花の上に積もる『桜隠し』も見られました。
この季節になると情景に浮かんでくるのが、伊勢正三が作詞作曲し、イルカさんが歌った名曲『なごり雪』です。
伊勢正三さんの詩は、状況がすんなりと浮かんできて、切なさの中にどこか暖かさがあり、切ないんだけどもけしてネガティブではなく、これから頑張っていこうぜというような感じのものが多い気がします。
歌というのは面白いもので、ある時、瞬間的にヒットしても10年も経てば忘れられて行ってしまう歌も結構あります。
その一方で、いつまでも色褪せることなく人々の心に残り、歌い継がれていく歌もあります。
伊勢正三が作詞作曲でイルカさんが歌っている『なごり雪』も、そうした後者の代表的な歌の1つでしょう。
作詞作曲を手掛けた伊勢正三さんの故郷でもある大分県津久見駅では、発着メロディーにこの『なごり雪』が使われていて、日豊本線の全列車の車内でもこのメロディーが聞けるそうです。
イントロの妙と歌いだし
『なごり雪』を語るにあたって、まずは最初のイントロ部分。
しんしんと降っている雪とぴったりマッチするメロディーになっています。
そして
♪ 汽車を待つ君の横で僕は 時計を気にしてる
♪ 季節はずれの雪が降ってる
この部分だけで、汽車を待っているんだから駅だな
汽車というと、蒸気力を動力として走る機関車によって引かれた客車・貨車ということになります。
昔の状況が浮かんできます。
君の横で僕はというんだから、主人公は男でその脇に家族か恋人か友達がいるんだなとわかります。
そして、季節はずれに雪が降ってるというところと、曲のタイトルの『なごり雪』から、駅のホームや線路に雪が深々と降っている、なごり雪といえば、春にはいってから降る雪ですので、春なのに肌寒い状況がたったこれだけで映像のように浮かんできます。
そして、君と別れたくない撲、あとどのぐらい君と一緒に入れるのだろうか。ついつい時計に目が行ってしまうという心情もありありと伝わってきます。
これだけの短い句で、ここまで具体的に状況をイメージできるのは、さすがにプロの作詞家というべきでしょうか。
3つのなごりをさりげなく歌い上げた名曲
♪ 東京で見る雪はこれが最後ねと さみしそうに君がつぶやく
場所は東京。
伊勢正三さんが『なごり雪』を作詞作曲したのが1974年。
東海道新幹線ができて10年、長嶋茂雄さんが現役を引退した年でもあります。
しかし、♪汽車を待つ君の・・・となっていますが、1974年に11月には本州から蒸気機関車は姿を消しています。
別れを名残惜しむ”なごり”
季節はずれの雪の”なごり”
そして姿を消しつつある汽車に対する”なごり”
だから、列車でもなく、電車でもなく、汽車なのかもしれません。
3つの”なごり”がみごとに重なっているのです。
堅苦しい言い回しは無しに、さらりと3つのなごりを歌詞に入れ込んだ伊勢正三さんは、まさに天才といえるでしょう。
それと同時に、本州から汽車がなくなる、1974年よりも前の状況のことということが推測できます。
1974年というと、10円玉専用の小型青電話がやっと設置されはじめた年、赤電話のダイヤルを指で回しているような時代で、現在のように遠く離れていても、インターネットで映像つきで会話できるというような時代ではありません。
東京で見る雪が最後ということから、もう東京へは戻ってこないんだなということになります。
♪ さみしそうに君がつぶやいた。 というのは、君が本当にさみしそうだったのか、それとも撲が勝手に君がさみしそうにつぶやいたように見えたのか。
名残惜しい撲が、そう感じたという感情の機微が見事に歌われています。
雪の擬人化、伏線をはってつながる数々の言葉
♪ なごり雪も降るときを知り ふざけすぎた季節のあとで
♪ 今春が来て君はきれになった 去年よりずっときれいになった
まずは、「なごり雪」の擬人化。降るときをわきまえて降っているなごり雪という言い回し。
降るときを知りといっているくらいだから、なごり雪が降っていることに対しては、むしろ歓迎しているととれます。
ぴったりのムード、思い出として降ってくれたなごり雪に感謝といったところか、それとも東京を出ていく君が、最後にまた雪を見ることができたということへの感謝の気持ちなのか、そういうところから、「降るときを知り」となったのでしょう。
♪ 去年よりずっときれいになった
ということは、撲は君のことを去年から知っていたんだなということがわかります。
そして2番の歌詞の中に、 ♪ 時がゆけば幼い君も 大人になると気づかないまま とあります。
つまり、撲は幼いときの君も知っているということになります。
あるいは、年齢的に幼いというのではなく、幼いと子ども扱いしていたが、いつのまにか精神的に成長し、大人に成長していたというようにもとれます。
そして、「幼い君も」が、「ふざけすぎた季節のあと」とも見事にリンクしています。
季節というのは、もちろん、今春がきて~ の前の季節の「冬」という解釈もできますが、春夏秋冬の季節というよりも、人生における君と一緒にいた季節というような解釈もできます。
幼いから子供のようにふざけるということで、見事な言葉のチョイスがされています。
♪ 君が去ったホームにのこり 落ちてはとける雪を見ていた
♪今春が来て君はきれいになった 去年よりずっときれいになった
君が去っていったホーム、しんしんと降り続ける雪、汽車は行ってしまったのに、落ちてはとけていくなごり雪をただ見つめている。
そこに名残惜しいという感情がみごとに伝わってきます。
でも、この曲には悲壮感はありません。それよりも去年よりも立派に成長した君を祝福するような、おめでたい感情が感じられます。
イルカさんが 伊勢正三さんからこの曲をもらったとき、最初はかぐや姫のヒット曲なんだし、私が歌うなんて・・・とためらっていました。
伊勢正三さんは、イルカさんに、好きなように自分が考えるとおりに歌っていいよと言ったそうです。
伊勢正三さんが歌っていたときに比べて、イルカさんが歌ったとき、
♪ 今春がきて 君は きれいにー なったー というように、「きれいにー なったー」と伸ばして歌ったそうです。
そして『なごり雪』といえばイルカさんと言われるくらいの大ヒットとなりました。
本当にきれいになったねーーー おめでとう! よかったね! というような感じで、感情をこめてイルカさんが歌ったとき、この部分が自然と「きれいにー なったー」というように伸びたのかもしれません。
平均寿命だけでなく健康寿命を延ばすロコモ対策
私たちの永遠のテーマともいうべきもの問題の一つに『健康』があります。
よく言われるのが『健康寿命』というものです。
『健康寿命』は、WHO(世界保健機構)が2000年に提唱したもので、ただ単に長生きをするのではなく、いかに健康に生活できる期間を延ばすかということが注目されています。
日本では、男女とも平均寿命が80歳を超える時代になってきましたが、平均寿命と健康寿命の差、つまり支援や介護を必要とする期間が、男性で8.84歳、女性で12.35歳もあるということになります。
健康寿命を延ばすロコモ対策
健康寿命を延ばすということでいうと、ロコモ対策があげられます。
ロコモは、ロコモティブシンドローム(運動器症候群)の略で、高齢になってくると骨や関節、筋肉などの運動器が衰えてきて、それが原因で歩行や立ち座りなどができなくなり、日常生活に支障をきたすようになります。
さらに進行すると、要介護や寝たきりといったように支援や介護が必要となるリスクが高くなっていきます。
ロコモ対策って何歳か意識すればいいの?
ロコモ対策なんて、70歳になってから考えればいいやなんて思っていると大間違いです。
なぜならば、骨や筋肉はすでに40歳を過ぎることから衰え始めてきているのです。
さらに50歳を過ぎると急激に低下していきます。
つまり、ロコモ対策を考えるのであれば、早い方がよく、40歳から意識を持つことが大切です。
ロコモ対策は運動だけじゃない
ロコモ対策というと、運動をして筋肉を鍛えればいいということで、一生懸命スポーツジムに通い、体を鍛える人がいます。
これは非常に良いことで、体を支えたり動かしたりするこおによって、筋肉や骨は強くなっていきます。
しかし、それだけではなく、その骨や筋肉を作る材料ともなるべき栄養もきちんと食事から摂らなければなりません。
ロコモ対策の食事とは
ロコモの予防は、運動器の機能を維持することが大切になってきますが、そのめには、「5大栄養素」である炭水化物、脂質、たんぱく質、ビタミン、ミネラルを毎日3回の食事からきちんと摂ることが理想になってきます。
良く言われていることですが、主食(米・パン・麺類)、主菜(肉・魚・卵・大豆製品)、副菜(野菜・きのこ・海藻・いも)、牛乳(乳製品)、果物でメニューを組み立てるようにします。
毎回とは言わなくても、少なくとも1日1回はメニューを揃えるようにします。
例えば、朝や昼に野菜がとれない場合は、夜にしっかり野菜や果物をとったりすると良いでしょう。野菜をたくさん入れたみそ汁でも良いでしょう。
骨を強くする食事
骨といえばカルシウムで、カルシウムを多く含んだ食材はもちろんですが、カルシウムが効率よく腸から吸収するのを助けるビタミンDや、骨の形成維持に働くビタミンKも大切です。
骨の材料はカルシウムだけでなく、たんぱく質も必要となります。
筋肉を強くする食事
筋肉といえばタンパク質ですが、タンパク質のほかにもエネルギー源となる炭水化物や脂質、タンパク質の働きを助けるビタミンB6などもしっかりと摂るようにします。
桜といえば目黒川や上野公園に行きたがる人の心理
花見の季節真っただ中といったところですが、連日のように目黒川や上野公園は花見客でごった返し、近所の人達は非常に迷惑を被っているというニュースも流れています。
桜に群がる人々
目黒川沿いのスターバックスは待ち時間5時間というから尋常じゃない。
確かに、人がいなければ目黒川沿いや上野公園のソメイヨシノは綺麗だし、目黒川なんかはヒラヒラと舞い散った桜の花びらが目黒川の水面に浮かび、夜はライトアップされた桜と水面に映りこんだ街の光がより幻想的な世界をみせてくれたりもします。
しかし、いかんせん人が多く、桜を見に行っているのか、人込みを見に行っているのかわからないんじゃないかというくらいの込み具合です。
もちろん、自分のペースでしゃかしゃかと歩くこともできません。
上野公園にいたっては、場所取りなどでトラブルが発生し、殴り合いの喧嘩になったり、飲みすぎて桜の下で錯乱なんてことになっている人もいます。
公園に放置されたゴミなどの映像をみていると、昔に比べて日本人もだいぶマナーが悪くなったし、自分のことしか考えない輩が増えてきたなという印象です。
近所の桜だって十分綺麗じゃないか
ソメイヨシノなどは日本各地に植えられていて、多くの人が自宅の近所でも桜を見ることができると思います。
桜の美しさだけを純粋に楽しむのであれば、早朝に家の近くを散歩して、まだ人がいない時間で美しい桜を独り占めにすることだってできます。
なにも目黒川や上野公園に植えられているソメイヨシノが特別な桜というわけでもありません。
ソメイヨシノはソメイヨシノ、家の近所に咲いているソメイヨシノと全く同じです。
目黒川や上野公園は、その周りの景色とのマッチングが良かったり、桜の木がたくさんあるということで、多くの人が集まってくるというところはあるでしょう。
でも、多くの人が集まってきてしまうからこそ、桜じゃなくて人込みを見てるんじゃないかと錯覚するぐらいの人数になります。
みんなが行くから行くという心理
人間は、みんながいくから私もという心理が働きます。
特に、日本人はこの傾向が強いと言われています。
まわりがそうだから、私もというのは、同調という心理です。
集団の中で、個人の意思よりも周りの雰囲気を尊重して行動することが同調ですが、まわりが良いと言っているんだから間違いないだろうと考えるのです。
これが、例えば自分の仕事で何かを買わなくてはいけない、自分の趣味のものでほしいものがある、大好きな彼氏彼女のプレゼント、高額なものとなってくると、必死にどれが良いのかいろいろと調べて結論をだしていきます。
しかし、自分にとってそれほど興味がないものや、情報や知識をそれほど十分にもっていないものは、無駄を省くために極力少ない労力で判断しようとする認知的ケチという現象が起こるのです。
自分もみんなと同じようにインスタ映えする写真を撮りたい。
でも自分で桜の名所を発掘するなんて大変。
桜を見ること自体、それほど自分にとって大変なことじゃないし、でも綺麗な桜はみたいし、それならみんなが良く炒っていて桜の名所だと言っているところにすれば間違いはないだろうというようになってしまいます。
それならば、多くの人が良いといっているところに行けば間違いだろうということで、花見ならば桜の名所と言われるところ、ラーメンだったら行列ができるラーメン屋さんに行くのがとりあえず無難かなとなります。
また、みんなが体験しているんだから自分も体験しておかないとという心理も当然働いています。